さて、前回記事の続き。

いよいよ本題のアーティスティックスポーツの境地に足を踏み入れていく、、、!!!
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競技規則が芸術性を求めているか
著者はアーティスティックスポーツの定義を「競技規則が選手に芸術性の発揮を期待しているスポーツ」としている。
特にこれまでは混同されていたが、男子器械体操のような「競技規則が定める演技の理想形を追求するもの(=技の難度と質のみを競うスポーツ)」に関してはフォーマリスティックスポーツとして明確に区別している点で、先行研究との差分を主張している。
また、スポーツがアーティスティックスポーツであるための条件を、スポーツ・アートという定義としてはかなり捉えにくい2つの概念を使って整理しているのは非常に面白く、ユニークである。
ここで、一つ気になったのが、フィギュアスケートのルーツと本定義との関係性だ。
氷上に図形を描くスポーツとしてのフィギュア
フィギュアスケートのフィギュアは図形を意味している、ということをフィギュアスケートに少し詳しい人なら聞いたことがあると思う。
フィギュアスケートの起源は「氷上に定められた図形をどれだけ正確に描くことができるか」であった、という認識でいる。
現在の主要な国際大会では既に廃止されているが、コンパルソリーフィギュアというものが存在した。
朝の貸し切りで一番にこのコンパルソリーの基礎をよくやったものである。。。
このコンパルソリーフィギュアは間違いなくフォーマリスティックスポーツといえるのではないだろうか。
<参考:コンパルソリーのイメージ>
フィギュアスケートの起源に関しての文献を細かく調べたわけではないことを前置きして、一つ、大学の紀要論文を拝借する。
スポーツと美的なもの:新体操という困難から 追手門学院大学社会学部紀要 2010年3月29日,第4号,17-32
この紀要の本文中には以下の記述がある。
・現代のフィギュアスケートは19世紀のバレエダンサー、ジャクソン・ヘインズを父祖とする。
・フィギュアスケートの名称の元になった図形 figure を正確に描く競技としての起源は 18 世紀に遡り、19 世紀の西欧で発達した。
・フィギュアスケートは北米とヨーロッパとの間で潜在的に主導権争いのようなものがあるのかもしれない。見たように、フィギュアスケートは北米でヘインズにより生まれたという歴史を持つが、後でも触れるフィギュアスケートの名前の由来とも言える氷上に図形を描くコンパルソリーはかつてヨーロッパで盛んだった。だから、たしかにヘインズは父祖たる位置にあるとしてもそれだけで北米起源のスポーツというわけでもない。スケート自体が北米からヨーロッパで広く親しまれた遊びでもあったわけで、フィギュアスケートにおいて両者の間には一定の緊張関係があるのかもしれない。
これを見ると、フィギュアスケートの起源もそうシンプルなものではなさそうだ。。。このあたりは専門家に任せたいところである。おそらく諸説あるのだろう。
しかし、少なくともこの記述からは、”図形を正確に描く競技が起源である”、”時系列としてもそちらのほうが先”であることが垣間見れる。(もちろん他の説もあるだろうし、網羅的なレビューが必要なのは再度念押ししておく。ルーツ段階での競技性の有無も整理が必要だろう。)
つまり、ここで何が言いたいか、、
フィギュアスケートのルーツはフォーマリスティックスポーツであった(または起源としている)と捉えられるのか?という点だ。
”競技としてのルーツ”と”現規則をもとに類型化されたアーティスティックスポーツとしてのフィギュアスケート”との関連性は本書の今までの部分では述べられていなかったように思う。
アーティスティックスポーツが競技規則を元に類型化されるのであれば、その競技規則の変遷を論拠にそのスポーツが配置されるポジションも時系列で変わってくるのかもしれない。
フィギュアスケートの競技規則の変遷を遡った場合に、アーティスティックスポーツ⇢フォーマリスティックスポーツになる点が存在するのか?
については著者の見解を伺ってみたいポイントであった。
競技規則は変更がなされるものであり、その変遷が競技にどのように影響を与えたのか。(もしAS⇢FSに切り替わるポイントがあるならば)何故その点で切り替わる必要があったのか?などについて多角的に深堀りしていくことで、アーティスティックスポーツとしての特性をさらに理解することにもつながるのではないか、などと考えたりした。
長くなったのでここで一度切ることにします。
続きはこちら。

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